理念と設立の経緯

「多文化共生」の概念と実践

杉山三郎(多文化共生研究所長 2013~)

 グローバル化の波が急激に、世界の端々まで押し寄せている。携帯とコンピューター産業、インターネット・テクノロジーが生活の一部となった昨今、異なった民族、言語、文化間の交流も活発になり、世界が一つになっていくかの錯覚に陥ることもある。しかし、その一方で誤解や緊張関係を生む機会も多くなっていることも事実であろう。そういう時代だからこそ、自分たちの思想・価値観を押し付ける行動に走らず、客観性ある「共生」の道を探る「時空間」が必要となる。個々人が属する環境から一旦離れ、地球規模、人類史のスケールで民族が移動・分化して創り上げられた多様な文化の重要性、またそれぞれの地域環境に適合した文化の特異性を認識できれば、おのずと「多文化共生」の意義を見出せるのではないか。そんな研究会や講演、また実践の場を提供する「時空間」を創ること、それが多文化共生研究所のねらいである。

 世界中で伝統的な生活を営む先住民族は少なくない。一方で都市部においては、異なる民族集団がコロニーを作り、複数の社会集団、また異なった言語、宗教、生活習慣が雑居する現象が多くみられる。同時に異文化間を繋ぐ職業の専門化が進み、必要とされる知識・技術もさらに特化しつつあり、社会構造自体がゆるやかに変容している。そのような多重集団間では、相互交流とコミュニケーションがますます複雑・難解となり、重要課題となっている。現在の研究所は、様々な地域文化を異なった分野で研究する専門家の雑居集団であり、そのような多重構造の現代社会を反映していると言える。だからこそ私達の共同作業は、多文化共存に不可欠な「共生」の共通認識を醸し出す、ゆるい学術環境を提供できるのでは考えている。それぞれの地域に特有な異文化の研究から始め、多様な自然・文化環境を基盤とする社会集団の「共生」の道を探る、そんな作業を文化の担い手と共に進めていきたい。

前所長  稲村 哲也

 多文化共生研究所は、「多様な分野の研究者が連携して、総合的な意味での『共生』をテーマとして、研究と実践に取り組んでいく」ことを目的とする。「多文化」を謳っているが、それは研究課題の焦点をある程度絞り込むためであり、また、シンボリックな意味でもある。

  「共生」は、いわば人間社会の究極的な、そして包括的な課題である。地域の当面の課題として、在日外国人・移住者との共生の問題があるが、それについても社会の包括的課題の一側面として捉えることが重要である。その一側面を全体から切り取って扱うのでは、根本的な解決は望めないだろう。

  総合的な「共生」の研究と実践に、正面から取り組むことは、もちろん容易なことではない。しかし、それは「誰かが解決してくれるのを待つのではなく、私たち一人々々が解決に知恵と力を発揮すべき」(佐々木雄太2008「人間の世紀・共生の時代に向かって」『共生の文化研究』、1-4頁、より)課題である。

多分野の連携 共同研究と個別研究のフィードバック

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 本学は地方の公立の大学であり、地域との連携や貢献は大学として重要な課題である。本学はまた、大学のスケールは小さいが、多様な分野をもつ「複合大学」という特徴をもっている。これまでも、多様な専門分野の教員が個々に共生と関る活動をしてきたが、研究所を拠点として、横の連携を促進し、知恵と力を結集したい(図1、詳しくは後述)。本学の規模や特徴は、そうした連携のための好条件を備えていると思う。

 本研究所は、杉山三郎特任教授以外は、所長を始め、すべての研究員が兼任であるが、すでに日本文化学部、教育福祉学部、外国語学部、情報科学部教員から20名以上が研究所に参集している。さらに、大学院生や大学院修了者、学外研究者も、客員共同研究員や研究協力者として参加している。

 研究分野によっては、テーマが直接的に重なる分野もあるだろうし、重なりが間接的な分野もあるだろう。個々の研究者の関与の仕方は多様であっていい。研究所の活動が、個々の研究者に過度の負担を課したり、基礎研究を阻害することがあってはならない。「雑駁な興味関心に統一感を与えるひとつの考え方のヒントが『共生』ではないか」(井戸聡2008「現代『山岳修行』の旅:著者プロフィール」『共生の文化研究』、より)とう捉え方で十分だと考える。「共生」という共通課題を持ち議論する中で、個別研究にも新たな研究の視座が生まれることを期待したい。つまり、共同研究と個別研究のフィードバックによる研究活性化が、研究所の狙いでもある。

 研究所の構想は、2002年ごろの将来計画委員会で始まった。当初、研究機能をも含む地域連携センターの構想として始まったように記憶している。地域連携センターは2007年度当初に設立され、充実した活動を実践している。

  地域連携センターは、既存の研究母体や個々の教員の研究を束縛したり、阻害するようなことがあってはならない等の考えから、研究主体とはせず、連携活動の窓口、コーディネート、サポート、情報蓄積・発信などの機能をもつ組織とした。そこで、本学の連携研究活動の実践、研究活性化のためには、研究所の設立がぜひ必要だということになった。

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 将来計画委員会の地域連携センター構想の過程で、公立の大学また地域の複合大学として、それに相応しい地域貢献の理念が検討され、「成熟した共生社会」の実現に資するという理念が構想された。それは単なる理想ではなく、本学がすでにもっている多様な専門分野が連携することで、また個々の教員がこれまで実践してきたことを統合・システム化していくことで、実現可能だと考えられた。さらに、将来計画委員会での議論の中で、その理念は、地域連携だけでなく、大学としての本学の(教育・研究・地域連携の)理念として相応しいということになり、「共生」の3本柱として、「多文化共生」、「環境共生」、「科学技術との共生」が掲げられた。

 このような経緯から、必然的に、「共生」という本学の理念を実践するための、学部・研究科を横断する、学際的な研究所の設立が必要となったわけである。また、以上の経緯から、「多文化共生研究所」は、地域連携センターと共同しながら、地域貢献を目指すものとしても構想されたと言える。

  図1は、本学における多様な分野の連携のイメージを描いてみたものである(周囲の輪の内容は一部入れ替えた)。これは、先に述べたように、もともとは地域連携の理念として構想したものであるが、研究所の理念として引き継いでいきたい。本学の理念として掲げた「共生」の3本柱(「多文化共生」、「環境共生」、「科学技術との共生」)を輪に含めているが、実は後の2者(とりわけ「環境共生」)は本学の現状の構成員では弱い部分であり、今後、補強していくべき分野であろう。また、2009年に看護大学と大学統合がなされた後は、「看護」「健康」などを「共生」の構成要素に加えることが望まれる。

  当研究所を、総合的な意味での「共生」を理念として構想していることを既に述べたが、図2は、「共生」の多面的複合的構造のモデルを立体的に描いてみたものである。この図式は宮原勇さん(2008年4月より名古屋大学に異動)の構想を修正し、歴史の視点を加えたものである。

「地域」と「世界」をフィールドとして

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 研究フィールドとしては、まず、本学周辺よび愛知県を第一義的な対象「地域」として捉えるが、もちろんフィールドはそこに限定されるのではなく、世界に広がるものである。

 図3は、研究フィールドとしての、「地域」と「世界」をつなぐロジックを示したものである[この図式は、将来計画WGで、加藤義信さん(文学部)、高橋慶治さん(外国語学部)との議論の中から生まれた]。愛知県の特性が日本の縮図であることから、「地域」で探求・実践したものを日本と世界に展開し、また、その逆に、日本と世界で検証したものを「地域」にフィードバックする、ということを示している。

 愛知県の地域的特性とは、①世界有数の産業地域である、②大都市から、中小都市、地方農山漁村までが地域内に共存する、③関東文化と関西文化の接点、④豊かな地域文化、⑤保見団地など外国人集住地域を抱える、などであり、それは日本と国際社会のまさに縮図である。「地域」で展開する諸課題は日本全体と世界の課題であり、そこでの研究や問題解決は「地域」に貢献するだけでなく、日本、世界につながる問題として、広く、学術的にも社会的にも貢献できる。一方、日本や世界の諸課題の研究は「地域」にフィードバックし、その研究や問題の解決に貢献することができる。

  「共生」は、あらゆる分野の研究にとって、究極の「応用問題」ということもできる。本研究所では、多分野の研究者が個々の研究課題を追求しながら、「応用科学」としての「総合共生学研究」を意識し、共同していくことで、研究所としても、個々の研究者にも、新しい何かが生み出されることを期待したい。そのためには、何よりもまず、研究所が楽しい研究交流の場となることが重要である。まず研究所内の「共生」が前提であり、それによってsustainableな活動も可能であると考える。

※稲村2008「多文化共生研究所設立と本誌創刊にあたって」『共生の文化研究』1、ⅰ-ⅳ頁の一部を修正のうえ転載した。

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